ドリーム小説

初めに気付いたのは勘助だった。

話があると呼び出していたにもかかわらず、が時間になっても来なかったのだ。

出陣前の慌しい中、勘助はイライラしながらの部屋へと向かっていた。

あれだけ忘れるなと散々言っておいたのに。

今から呼び付けるよりも自分で赴いた方が早かったためここまで来たが、何故自分がと文句を口にする。




「おい、馬鹿弟子。入るぞ」




の部屋の前に来ると勘助は返事も待たずに戸を開けたが、室内は空っぽだった。

合戦を前に出入りの激しい屋敷内を探し回るつもりはない。

誰か人を使うかと素早く結論を出した勘助は踵を返した。

手間を掛けさせやがって、会ったら扱き使ってやらねば気が済まん。

しかし、の部屋はあんなに物がなかっただろうか。

勘助は記憶を辿ろうとしたが、そこに通りかかった下男を見るとどうでもいいことだと考えるのを止めた。

結局、の不在に気付いたのは、言伝を頼んだ男がが見付からず果たせなかったと再び勘助の前に現れた時だった。




殿がいない?!」

「声がでかいわ!」

「旦那に言った時点でそれは諦めてよ山本様。俺も一応確認してきたけど荷が運び出されてた。誘拐ではないね」




事件の可能性を考えて勘助は佐助に声を掛けたのだが、どうやらそうではないらしい。

首を捻っている所に幸村が現れたため心当たりを聞いてみたが、動揺していて話になりそうにない。

この阿呆は内密という言葉の意味を知らんのか。

今の幸村の大声で事態は公になってしまった。

勘助は仕方ないとばかりに溜め息を吐いて、ややこしくなる前に幸村の首を引っ掴んで奏上しに行くことにした。

忙しそうに指示を出していた信玄は声を掛けてきた三人に目を僅かに細めた。




「何じゃお主ら、持ち場はどうした」

「それは全てつつがなく」

「それより!大変でございます、お館様!殿が何処にも居らぬのです!」

「そうか」




幸村の声に一拍置いて溜め息交じりに反応を返した信玄に、勘助と佐助はピクリと固まった。

想像していた反応と違う。

落ち着いている信玄に佐助は首を傾げ、勘助は青褪めた。




「あれ、もしかして大将、がいないこと知ってたんじゃないの?に極秘任務を任せたとか?風魔もいないし」

「そうなのでありますか?!」

「それはない。あれは俺の配下だ。そうなれば俺が知らぬはずがない」

「え、じゃあ・・・」




そこまで言って佐助は初めて勘助の顔色の悪さに気付いた。

任務でもないのにが出て行くことを信玄が許す状況とは一体何なのか。

絞られた選択肢に佐助も眉を寄せた。

嫌な予感がする。

信玄を質問責めにしている幸村を余所に、二人は伺うように信玄を見つめた。

その視線に気付いた信玄が顔を上げると、勘助は小さく、けれどはっきりと口を開いた。




「・・・に、何を吹き込んだんです」

「ワシは何も言っておらん。あやつの意思が固かった。ただそれだけじゃ」

「じゃあやっぱりは・・・」

「何の話をしておられるのですか?!」




沈んでいく空気の中、状況を察せない幸村が困ったように三人を見た。

動かない勘助、落ち込む佐助、幸村が縋るように信玄を見れば、緩慢な動きで振り返った信玄が重い口を開く。




「ワシがに暇を取らせた」

「は」

は武田を出て行ったのじゃ」




まるで頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。

暇を取らせたということは、武田を辞したということだ。

信玄がそうしたことも驚愕だが、何より同意の上での決め事ならば連れ戻すことが出来ない。

不意に幸村は消える直前のを思い出して、その違和感の正体に今更気付いた。

殿は某と政宗殿に勝ってくれと真剣に言った。

そこには自分がいないから、だからあの時祈るようにあんなことを言ったのだ。

悔しさに叫び出しそうな幸村の横を早足で勘助が通り過ぎた。

ずっと黙ったきりでその場を立ち去ろうとした勘助の背中に信玄が言葉を投げ掛ける。




「許せ、勘助。恨むならワシを恨め」




僅かに勘助は足を止めたが、振り向くことなくその場を立ち去った。

準備に追われる屋敷内を黙々と歩き続け、唇が切れるほど噛み締める。

お館様を恨めるはずがない。

あの人はただが選んだ道を行かせてやっただけなのだ。

むしろ、がその道を選ばないように教育出来なかった俺の不手際だ。

勘助は握った拳を柱に思いきり叩き付けてようやく足を止めた。

大きな音を聞いて近くにいた人達は飛び上がり、勘助の雰囲気にそそくさとその場を離れていった。

人の気配がなくなると勘助は額を柱に小さくぶつけた。

油断していたのかもしれない。

アイツは甘ちゃんだが、柔軟で優秀でそれでいて俺に従順だったから。

このまま俺が仕込めば、最高傑作になるはずだったのに。

勘助は悔しさを晴らすことが出来ず、もう一度額を柱にぶつける。

言い方は悪いが、勘助は勘助なりにを気に入っていた。

もちろん、後の自分の器になるという意味合いもあったが、文句を言いつつも素直に教えを呑み込んで行く

自分の子供のように可愛がっていたのだ。

そうでなければ、この勘助が他人である人間を後継者として熱心に教えはしないだろう。

人に係わるのを厭う勘助が自らの指導を願い出たことからもそれは知れる。

だからこそ、その希望を潰してしまった信玄は勘助に心から謝ったのだ。




「これでは片倉殿と鬼庭殿を笑えないな」




自嘲するように呟いた勘助は二人と同じ立場になって初めて彼らの心境を知った。

あの時、勘助の嫌味に言葉を返して来なかったのは、自分の不甲斐なさをそれ以上口にしたくなかったからだと。

勘助は脱力したようにズルズルと柱に寄り掛かったまま、座り込んだ。




「・・・馬鹿娘め」




常々自分を上回る悪知恵を付けろと言っていただけに、してやられた勘助は複雑であった。

周囲の人間さえも肥やしにさせて大事に大事に育ててきた果実はあっさりと自分の手を離れた。

これではまるで道化のようではないか。




「俺もただの肥やしだった訳か」




深く溜め息を吐いた勘助は気だるそうに立ち上がって埃を掃った。

出て行った馬鹿のことなど、もうどうでもいい。

それよりも戦だ。

勘助は気持ちを切り替えて、再び前に歩き出した。


* ひとやすみ *
・その後の武田軍をお送りしました。
 いやー、勘助の高い高い鼻がポッキリです!ざまあみろとか思いつつも
 最後の哀愁漂う後姿に同情を禁じえなかった私・・・。ゴメンね、勘助!!
 さて、ヒロインが行方を晦ましてしまいました!行き先はあっちか?そっちか?
 事態が事態なだけに大忙しです!あと数話で空夢語編も終幕です。それまでよろしくどうぞです!   (10/09/14)