パノラマな私たち

94. 恋焦がれて.

甲斐が武田、越後が上杉のように大名は概ね各領地を治めているが斡祇は違う。

彼の一族がどこぞの家臣ならば話は簡単なのだが、彼らは何処にも属さず常に中立を保っている。

土地も城も持たない彼らが全土に隠れ住むことが許され、尚且つ乱世にここまで甚大な影響力及ぼすには理由がある。

この時代の鉄鋼業市場のほとんどを斡祇一族が占めているのだ。

簡単に言ってしまえば、武器を作る権利を持っている一族だということだ。

これがこの戦国時代、どれほど重要か少し考えれば分かるだろう。

そして彼らは一族秘伝の鋳鉄技術を持っていた。

普通の鉄とは質が違い、丈夫で折れない刀を造ることが出来た。

天下を目指す大名達からすれば咽喉から手が出るほど欲しい物なのだ。

だが、斡祇は命を刈る武器にこの技術を使うことを拒んだ。




「拒んだ？では世に出回る刀は一体・・・？」

「一族以外の鍛冶屋が造った物じゃ。数が必要ゆえ、値は安く折れやすい」

「でも独占してるだけなら影響力を持つ前に潰されるのが普通ですよね？」




首を捻る幸村とに信玄は溜め息を吐いた。

そう出来ない理由があるのだ。

信玄はそう言って床の間に飾ってある軍配斧を見つめた。




「斡祇にはほぼ全ての大名が署名してる不可侵条約があるのじゃ」

「何故そのような？！不平等過ぎませぬか？！」

「幸村よ。ワシやお主、佐助が使っている武器には斡祇の技術が使われておる」




目を見開く二人に信玄は苦笑して話を進める。

確かに彼らは武器を造ることを拒んだが、その技術と一族を守るために唯一婆娑羅者達の武器だけを造ることにした。

能力者の武器を造ることが出来たのは斡祇だけだったので、天下を目指した大名達は条約に署名したのだ。

斡祇は能力者の武器を造り、大量生産の武器が出回るのを黙認する代わりに、隠れ村と不可侵を約束させた。




「つまり織田は不可侵を破り、その技術を奪うために彼らを狙っているんですか」

「そうなるの」

「何と卑怯な！このまま見過ごせば織田が更なる力を得て脅威になることは必至！すぐにでも援軍を、お館様！」

「それは、出来ぬ」

「「　！！！　」」




言葉を失うと幸村に信玄は苦虫を噛み潰したような顔をした。

加賀の前田が自領を守るのは不思議ではないが、同盟を結んでいる訳でもない武田が加賀へ向かうことは出来なかった。

何やら叫んでいる幸村の隣では冷静になって分析する。




「不可侵の制約ですね」

「うむ。斡祇から援軍の要請さえあれば我等も動けるのじゃが、一向に報せがない」





は唇を噛んだ。

靭太と己鉄が言っていた。

当主は今、事情があって動けないのだと。

何かがあって斡祇にもどうにも出来ない状態なのだ。

解決の見通しが立たない状況には青褪めた。

このままでは斡祇も前田も滅び、下手をすれば武田も伊達も上杉も全て織田に潰される。

顔色悪く固く拳を握り締めるに小太郎は心配そうな視線を向けた。







***







その夜、はぼんやりと空に浮ぶ月を眺めていた。

この世界に来て空を見上げることが多くなった。

現代からは信じられないくらい星が多いし視界は広いが、空はあの世界と変わらない。

私のご先祖様はお爺ちゃんのような鍛冶屋だったようだ。

それもお爺ちゃんが自慢したくなるような凄い人達。

は祖父が造ってくれたいろは包丁を引き抜くと空に掲げた。

全ての包丁の平に刻まれた斡祇の銘。

これを見た時のまつの反応は今思えば納得がいく。

は溜め息を一つ溢して、包丁を仕舞うと近付いてくる気配に視線を向けた。




「どうしたんですか、幸村さん」




ニコリと微笑まれて幸村は眉を寄せた。

元気がないが気になっていたからここまで来たのに、逆に気を遣われてしまった。

いつもそうだ。

自分が口下手だから、殿がいつも気を遣ってくれるのだ。

笑いたくない時は笑わなくてもいいのに。

幸村は不甲斐ない自分に腹を立てながら、の隣に腰を降ろした。

所作荒く不機嫌そうな顔で黙り込んでいる幸村には目を瞬いた。




「某は怒っているのです」

「え」

「殿はいつも溜め込んで一人で解決しようとなさる」




幸村とて気付いていない訳ではなかった。

がいつも何かに悩み、誰にも相談することなく、一人で懸命に頑張っていたことを。

ただ、それを見せたくないのなら、見ないふりをしようと決めていた。

いつかきっとから自分を頼ってくれる時が来ると信じて。

それなのに・・・。

幸村は悔しさを噛み殺してを見下ろす。




「某はそんなに頼りないですか」

「そんな事は・・・！」

「殿の力になりたい！それは某とて同じ思いだというのに、それなのに殿は・・・！」




幸村にはの瞳に隻眼の蒼が映っている気がした。

それが悔しくて悲しくて幸村は拳を握りしめて俯いた。

こんなことならやはり奥州へなど行かせるのではなかった・・・！

はまるで泣いているような幸村の拳を解すように手を重ねた。




「私はそんなに強くないですよ」

「・・・・・」

「もし私が強く見えたならそれは幸村さんのおかげです。幸村さんの優しさがあったからここまで来れた」




不安にさせてごめんなさい。

支えてくれてありがとう。

そう言って心から笑うに幸村は胸を締め付けられた。

彼女はいつもこうやって沈んだ心を浮き上がらせる。

某は本当に不甲斐ない。

自分ばかりが嬉しくて、愛しさ募るばかりだ。

触れている温かい手に手を重ねて幸村はを見つめた。




「殿に、触れてもいいですか」




触れるも何も既に手が触れていると声を上げる前には抱き締められていた。

優しく腕の中に抱き寄せられ、幸村の心音が耳を打つ。

幸村に何があったのかには分からないが、応えるように大きな背中にそっと手を添えた。

愛おしすぎて溢れ出す想いが大きな溜め息となって幸村の口から零れ落ちた。

白い手も鈴のような声も細い身体も絹のような髪も何一つとして誰にもやりたくない。




「こうして腕の中に殿を政宗殿から隠しておきたいのだが」

「ふふ！無理でしょうね。目敏いですから」




楽しそうにコロコロ笑うからそっと離れた幸村は片手をの頬に当てた。

無邪気に見上げる彼女はきっと自分や政宗殿の想いなど考えてもいないのだろう。

彼女が笑っていられるのなら今はそれでもいい。

不意にの形のいい唇が目に入った幸村は不愉快なことを思い出し、親指の腹での唇を何度も拭った。

擦られて誘うように赤く色付いた唇に、幸村はかじり付きたい欲望を抑えて熱い溜め息を吐いた。

無性に腹は立つが、政宗と同じことをするのは躊躇われた。

幸村は代わりにの手を視線の先まで持ち上げると白い手の甲に口付けた。

本当は言いたいことが山のようにある。

だが、今は・・・。




「どうか、一人の男があなたに恋焦がれていることをお忘れなきよう」




今はただこれだけを。

ちゅ、と小さく音を立てて唇を離した幸村は酷く扇情的な目でを見上げていた。