パノラマな私たち

61. もうひとつの誓い.

「おぉ？お前こんな所で何やってんだ、」

「それはこっちのセリフだよ、慶ちゃん」




電気の通わぬこの時代、日が落ちれば辺りは暗闇に包まれ、油の灯りが頼りになる。

すでに随分と前に顔を隠した太陽のお陰で薄ら寒い空気の中、は慶次の手にある酒瓶に呆れたように溜め息を吐いた。

カタンカタンと瓦を踏み鳴らして慶次はの隣に腰を降ろす。




「は屋根の上が好きだなぁ。またいじめられでもしたか？」

「イジメ？ないないないない！ウチでイジメなんかしようものなら、武田の勇将達に説教された挙句、

　騎馬隊に追い回されて幸村様やお館様に成敗されるよ！」

「そりゃあ、・・・無理だな」

「でしょ？」




クスクスと声を漏らして笑ったを見ながら、慶次は「ウチ」という言葉に目元を緩めた。

自分の居場所をちゃんと見付けたに安堵しながら、やっぱり少し寂しい気がした。

話を戻すようにこんな所で何してたんだと慶次が聞いてきたので、は空を見上げて小さく笑った。




「今日みたいな星月夜に私、この世界に来たんだよね」




今でもハッキリと思い出せる。

あの時の満天の星空は切ないぐらいに綺麗だった。

冷たい水の中に横たわり、当てもなく彷徨った先で盗賊に襲われ、小十郎に助けられ、寺の二人に出会い・・・。

よく生き残れたよなーと自分の事ながら笑いが漏れる。

それは今の自分があるから言える事だろうけど、私、変わったな。




「帰りたいのか」




沈んだ思考に割り込んできた慶次の声は少し硬くては目を瞬かせて隣を見上げた。

どこから出て来たのか、気が付けば夢吉が慶次の向こうに座っており、と同じように

不思議そうな顔をしているのを見ながら思考する。

帰りたい、のだろうか。

あの頃は帰りたくて帰りたくて仕方がなくて、出来るだけこの世界の人と交わらないようにしていた。

そんな事にこだわって目を瞑り耳を塞いでいたら罰が当たって慶ちゃんの腕に縋って泣き喚いたんだっけ。

過去の自分を恥ずかしがりながら、は一つ咳払いをして素直に口を開いた。




「あんなに帰りたかったのに今はわからないんだよね。家族や友達にすごく会いたいけど、帰っちゃいけない気もする。

　ここにいればいつか私がこの世界に来た理由が分かるような気がして、帰りたいって素直に言えなくなっちゃった」




困ったように笑ったに絆されるように慶次も小さく笑った。

そりゃ良かったとの真情もお構いなしに言い切った羽男に、少しムッとしては悪戯をしかけるように目を細めた。




「あ。私がいなくなったら寂しいんだ、慶ちゃんは」

「寂しいよ」




は慶次の声に一瞬目をパチクリさせて、片手で顔を覆って溜め息を吐いた。

真摯な目でそうあっさりと言い返されては、悪戯をしかけた方が恥ずかしい。

どうしてこの人はこうも素直なんだろう。

は赤いだろう顔を隠してくれる闇夜に深く感謝し、慶次にもありがとうと恥ずかしながらも返した。

慶次は照れているに目を細めて、闇に浮かび上がるの白い肌に手を伸ばした。




「寂しすぎて耐えれねぇだろうなぁ。誰かを思って泣く瞳も、楽しそうな口元も、俺を呼ぶ声も、

　全部見れなくなるくらいなら腕の中に閉じ込めて離したくなくなる」




言葉と共に目蓋や唇、喉元を撫でていく慶次の手がいやに熱く感じてはビクリと身体を揺らす。

口を開けばいつも惚れた腫れたと溢す慶次だが、何だか今の状況はいつもと違う気がして

居心地の悪さを誤魔化すようにはフイと視線を逸らした。




「またそんなこと言って。そういう事はちゃんと人を選んで言いなよ」

「？だから言ったんだけど？」

「・・・わ、たしは、騙されないよ」

「俺はに嘘吐かないぜ？」

「え？」

「お前が嘘吐かないって俺に言った時から、俺はお前に嘘吐かないって決めたからな」




ニパッと笑った慶次には思わず息を呑んだ。

確かに嘘を吐かないと慶次に誓って今までずっと守り通してきた。

おかげで勘助に甘すぎると何度も怒られている。

だけどまさか慶次までそう決めていたとは知らず、相変わらず優しすぎる人にはくしゃりと顔を歪めた。




「大事な人が自分の手の届かない所に行くのはもう二度とゴメンだ。

　俺さ、奥州を出る時に一つ決めてた事があるんだよ。もし次にに会った時、お前が笑ってたら、俺・・・」

「・・・くしゅんっ」




物凄いタイミングでクシャミを溢したに慶次は目を瞬いた。

恥ずかしそうに小さく謝ったに慶次は噴き出して、軽く首を振った。




「すっかり冷えちまったな。が俺の腕の中に飛び込んで来てくれると暖かくなると思うんだけどなぁ」

「セクハラ！」

「はは！んじゃこれ着て、もう部屋に戻んな」




ふわりと肩に掛けられた羽織が慶次の着ていた物だと気が付いた時には、片目を悪戯っぽく閉じてオヤスミと言われ

はそこを去るしか出来なかった。

慶次の匂いいっぱいに包まれ、気恥ずかしながらも感謝の言葉を返せば、酒瓶片手に笑顔が返ってきた。

屋根を下り、の姿が見えなくなった頃、酒をちびちび飲んでいた慶次は暗闇に声を掛けた。




「覗き見とはいい趣味じゃないねぇ」

「珍しくが俺様に気が付かなかったんだよねー。前田の旦那のせいかな」




屋根にぬっと現れた佐助に慶次ははぐらかすように肩を竦めて酒を煽った。

と会話中に夢吉がピクリと反応したから誰かいるなとは思っていたが、内容が内容だったので無視した。

刺々しい佐助の声にこっそりと息を吐いた慶次に畳み掛けるように説教が飛ぶ。




「大体ね、客人が人様の屋敷でこそこそと夜中動かないでくれる？挙句にウチの姫さん口説いちゃって。

　には無駄でしょうに。何せあの旦那と並ぶ鈍感なんだから」

「だよなぁ。ちと早かったなと俺も思った」

「ならさっさと諦めてくんない？には旦那とくっ付いて貰って、お守りを代わって欲しいんだから」

「そんなに怒るなよ」




慶次は佐助の様子にもう一度深く溜め息を吐いて立ち上がった。

佐助に背を向けて歩き出した慶次が何かを言いた気に振り返った。




「猿飛、お前さ、今のお前の顔、主人のためって顔してねぇぜ？」

「・・・は？」

「気付いてねぇみたいだから言うけど、そういうのを嫉妬って言うんだぞ」




ヒラリと手を振った慶次が屋根から姿を消し、残された佐助は言葉に意味を反芻して眉根を寄せた。

一体、何をふざけた事を言ってるのか。

自分が幸村のため以外に動くことなんて有り得ない。




「俺様が嫉妬？誰に？」




何だか落ち着かない気持ちを確かめるように呟くも、目に焼き付いた慶次との姿に掻き乱されままならなかった。

佐助は慶次の言葉に惑わされる自分に舌打ちをして闇に姿を溶け込ませた。