パノラマな私たち

138. 突き放す優しさ.

濡れ縁に座りモキュモキュと団子を頬張る二人は、ただ静かに夕暮れ迫る空を見つめていた。

緊迫した空気から解き放たれたのは周囲も同じで、遠くから子供の声が聞こえている。

あの子達も忍になるのかとぼんやり考えていたに、隣りの己鉄が声を掛けた。




「これから忙しいよ？靭太さんが行ってる双野木[ふたのぎ]も戦後処理で大変だし、凌禾[しののぎ]も復興させなきゃだし、

　僕も何とか当主としてやって行かなきゃいけない。猫の手も借りたいくらいだよ」




あははと軽く笑う己鉄には視線を向ける。

何かを急く様にペラペラと笑いながら話す己鉄にはただ視線を返していた。

が手にしていた湯呑をコトリと置くと、己鉄はその小さな音に肩を震わせた。

は何も言わないが、己鉄も何かを感じ取ってたのだろう。




「・・・何で僕を選んだのかとか、当主が務まるかどうかなんて聞かないよ。だけどちゃん、手伝ってくれるよね？」




恐る恐る聞いた己鉄にはニッコリ笑った。

その瞬間、己鉄の胸にやはりという感情が走った。

こういう時、この幼馴染は優しくないのだ。

いつも己鉄の前を走りながらギリギリの所を要求し、諦めそうになるとグイグイと引っ張り上げてくる。

全然優しくないのに、決して自分を見捨てない。

だから自分はいつもこの居心地のいい場所を離れたくなくなってしまうのだ。




「ごめんね己鉄。私、行かなきゃいけない所があるんだ。だけど離れていても斡祇の力になるよ。

　困ったことがあったら必ず駆けつけるから。約束するよ」




きっとは約束を破らない。

どこにいようとは斡祇の誇りを持ち、何をおいても力になってくれるのだろう。

それは己鉄にも分かっていた。

分かってはいたが、




「だけど、それじゃ、」




・・・僕が寂しいじゃないか。

しゅんと背中を丸めて俯いた己鉄はいろいろ呑み込んで小さく頷き、もそれを察して苦笑した。

小さくなった背中を撫でたは己鉄にコテンと寄り掛かった。




「ありがと、己鉄」




グズグズと鼻を啜って頷いた新当主には声を上げて笑った。











***












「・・・お　そ　い　っ」

「勝手に人の家に居座っといて何言ってんの、この風来坊！」




腕を組んでイライラと貧乏揺すりを続ける慶次に、佐助は顔を引き攣らせて怒る。

突然この男が世話になると甲斐に転がり込んで来てから半月以上が経つ。

間もなく幸村は上田に戻らなければならないというのに、仕事が増える一方である。

信玄は好きにさせておけとのことだが、今は長宗我部との同盟やら何やらで領内が騒がしい。

真田忍軍の頭領として、はい分かりましたと素直に放って置くわけにはいかないのだ。

この忙しい時に全くこの鶏頭は何考えてるんだよ！

佐助は面倒事に頭を抱えて深く溜め息を吐いた。




「・・・それに、アンタの顔見たら否が応にも思い出しちまうだろうが」




佐助の小さな小さな呟きは風に溶けて消えた。

彼女と浅からぬ縁のあった慶次を見れば幸村が荒れてしまう。

あの神隠しから幸村達は必死になって各地を探し回った。

けれども彼女の情報はどこにもなく、フツリと姿を晦まして消えた。

日が経つにつれ周囲の関心は薄れ、彼女のことを思い出す時間が徐々に減っていった。

幸村も必然的に日々の生活に追われるように日常へと戻ったが、

彼女を忘れまいとするかのようにやつれていった。

身体を酷使して仕事に邁進する姿は見ていて痛ましかった。

幸村の心の傷は深く今も血が噴き出しており、傍でずっと見てきた佐助でさえも簡単には触れられぬ物となっていた。

だというのに、この風来坊ときたら無神経にもほどがある。

青筋立てて睨む佐助を物ともせず、慶次は空を見上げて眉根を寄せた。




「・・・あの馬鹿、怖気ついたな」




















「・・・それで主はいつまで村に居る気じゃ？」

「えぇ？！ご当座様が罰として雑用手伝えって・・・」

「そんなもんもうどうでもいいわ」




えぇー・・・とは何とも言えない顔をして当座の顔を見た。

己鉄と話をした後、は宕之鬼の当座で忍頭であるこのご老人にこってり絞られた。

当主の務めを二度も放り出してノコノコと帰って来たことをそれはもうこっ酷く叱られた。

厳めしい顔の屋代に怒られるよりも、歴戦の忍であるこの爺様に怒られるのは寿命が縮む勢いで怖かった。

その甲斐あってか村の刺すような視線は弱まったのだが、いろんな人に同情されるという余計なおまけも付いてきた。

あちこちに飛び回っては雑用をこなして来たのだが、この言い様はない。

ついにボケたのではないかと胡乱気な視線を向けるに当座は鼻を鳴らして言う。




「お主、偉そうに己鉄よりも大事なものがあるから出ていくと吹いたそうではないか。あの洟垂れ、泣いておったぞ」

「そんなこと言ってませんよ！」

「だが事実じゃろう？」




即座にそう返されてはぐうの音も出ない。

黙り込んだに目を細めた当座は硬い煎餅を噛み砕きながら息を吐く。




「どんな男を選んだかは知らんが、人を出汁にしてグダグダ言わずさっさと出て行けばよいものを」

「・・・だって、今更どんな顔をして会えばいいのやら」

「ハン！持ち前の図々しさはどこへやった？儂らを捨てた癖に再び目の前にケロリとして現れた主が、

　今更男の一人や二人に怖気付くなんぞちゃんちゃら可笑しくて臍で茶が沸かせるわ！」




当座のあまりの言い様には唖然とする。

だが、それは事実でありが負うべき罪悪感なので、反論の言葉はない。

俯いて黙り込んだを見て、当座は小さく息を吐き、煎餅を投げ付けた。




「・・・阿呆が。古今東西、男に許しを請うなら唯一つ。口吸いの一つや二つブチかませば一発よ」

「・・・・・・・・・・・は？」

「なんなら、秘伝の房中術を教えてやるぞ？」




ニンマリ笑った助平爺に今度こそは盛大に暴言を吐いた。

このセクハラジジイ・・・！！




「はぁぁ？！雑用も終わったようだし、明日ここを発ちます！お世話になりましたッ！！」




足音荒く立ち去るの背を見て青い青いと笑う当座に、そっと歩み寄る影が一つ。

心配して様子を窺っていた己鉄である。




「ご当座様、あんまりちゃんを苛めないでよ・・・」

「全くこの洟垂れが。そんなのだからを物に出来んのだ。あれは筋の通ったいい女だったのにの」




村の子供達を見守り育ててきた忍頭は柔らかい表情でが消えた道を見つめていた。