ドリーム小説
嗅ぎ慣れた匂いを感じて、久々に帰って来たと息を吐いた。
悠久の時を有する彼にとって地上に降りていた時間は僅かなものであったが、
今回は特例に対応するため忙しく走り回ったので、良くも悪くも記憶に深く刻み込まれている。
――全く、あれほど不可思議な人間はそういない。
酷く冷たく光る星は時々驚くほど熱く瞬き、美しくも妖しく、そして人を惹き付けて止まない。
それがという人間だった。
あれほどの異彩を放つ人間が、どうやって神々の目を掻い潜って世界を越えたのか未だに謎である。
その憶測を立て議論を戦わせる遊びが神々の間で今ブームとなっていることを、帰って来たばかりの彼はまだ知らない。
不思議な靄の漂う空間を切るように歩き、広い空間に出ると彼は宙を掴むような素振りを見せた。
すると、目の前に扉が現れ、彼は戸惑うことなくそのノブを掴んで扉を開いた。
「おかえり、シト」
扉の先に思わぬ人がいてシトは目を瞬いたが、この人はこういう人だったと思い直して部屋へと入った。
何で自分の仕事部屋に主のシトより先にこの二人がいるのだと、シトはげんなりしながらソファーに腰を落とした。
優しい声で帰還を労ってくれた人物だが、我が物顔でシトのデスクに座って手に持っている本に視線を落としている。
もう一人は向かいのソファーに座り、肘をついてこっちを窺っている。
「館長はともかく、なんでリンが僕の部屋にいるの?」
「何って、冷やかしに決まってるじゃない」
「君、ほんと性格悪いよね」
「性格悪いのはどっちよ。わざわざ私をあの世界から退場させてから、出て来るなんて」
「言っておくけど、君を戻すタイミングを決めたのは館長だし、僕だって半ば無理やり出張させられたんだからね」
盛大な愚痴を披露しあった二人は、自然とシトのデスクを陣取る館長に視線を向けることになった。
冷たい視線を感じたのか、不思議そうな顔をして二人を見た館長は、何かあったのかと言わんばかりに首を傾げた。
「記憶の白紙化のことかな?上手くいってるみたいだよ。あれだけ介入して、朧気にするのが精一杯みたいだけど」
「・・・白紙化。シトが出した最後の手紙の効果ね。神の存在の記憶を消したかったんでしょうけど、さすがね」
「リンはえらく彼に執心してるよね。元同胞だからかな。に
貴婦人とか呼ばせちゃってさ」
「アンタこそ意趣返しに生き返らせたとかカッコつけてたけど、はあの時本当は死んでたでしょうに」
リンの言葉にシトはピクリと眉を動かした。
が生命の最果てで選択を迫られていた時、の身体は必死の治療も虚しく心肺を停止させていた。
雲雀はどう頑張っても鬼籍に入る予定だったため、赤ん坊からの再スタートか、
時間を巻き戻しての異世界転生キャンセル、このどちらかしかシトは選択を用意出来なかったのだ。
なのに、は雲雀としての生を取り戻した。
これはいくら神であるシトでも、やろうとして出来ることではない。
こんな閻魔に喧嘩を売るような強引な手段が出来る人物なんて限られている。
――最高神しかいない。
シトは引き攣った顔で、自分のデスクに座って本を読みふける最高神を見つめた。
その表情に全てを悟ったリンは、同情するように何度も頷いた。
「つまりね、は、元老院とこの本の虫をね、動かしちゃったわけ」
「・・・ありえないよ」
「うん。彼は本当に興味深いね」
本を閉じて顔を上げた館長が言葉を発したため、げんなりしていた二人は自然と視線を向けた。
館長は愛しそうに本の表紙を撫でて笑った。
「偶然とはいえ異世界へ紛れ込み、異物である彼が反発を起さずに世界に融合していたことが
元老院の目を惹いたようだよ。彼らはどこまで雲雀が不安定な世界で生き残れるか賭けていたよ」
「チッ。暇を持て余したジジ共はホント碌なことしないわね!」
「元老院がを見ていたことは分かったけど、館長はそんなくだらないことで動かないでしょ?」
シトの言葉に目を細めた館長は口元で弧を描いて、あれほど気に入っていた本を決済箱の了と書かれた方に投げ入れた。
彼は神だ。
人を心の底から愛しているが、どこまでも冷徹に見ることも出来る。
「確かに彼は興味深いけど、それ以上も以下もないよ。理由なんてシトとリンがそう願ったから。ただそれだけだ」
館長にとっての人間性などはどうでもよかった。
ただ、リンとシトの二人を惹き付け、さらに神々をも虜にしたその魂の強さに興味があった。
やはり人間は面白い。
館長はニンマリと笑って、一つ手を叩いた。
「さて、次の仕事だけど、リンは次の世界に飛んでくれる?」
「はぁ?!アンタねぇ、半神派遣舐めてんの?!勝手に跳ばしては殺して、休暇寄越せ!てか、リンって呼ばないで!」
「あぁ、ごめんね、レディ。大丈夫、次の派遣先の手続きは済ませといたから面倒はないよ」
「それの、どこが大丈夫なのよ?!ふざけn・・・」
「いってらっしゃーい」
喰ってかかるリンの言葉も途中に館長は笑顔で手を振って、彼女を送り出した。
お見送りという名の強制転送に、目の前から彼女が消えるのを見ていたシトは顔を引き攣らせた。
部屋に可笑しな空気だけが残っている。
「さて」
「・・・待って!話せば分かる!ね?!」
「うん。分かってるから大丈夫。シトはね、次は物の怪の世界に救済に行ってほしいんだ」
「全然分かってないよ?!僕、今、残業から帰って来た所なんだけど?!」
「そっかー。残業手当付けとくね。ついでに出張も付けとくからね」
「ふざけn・・・」
「いってらっしゃーい」
本日二度目の笑顔のお見送りに、シトは青褪めた表情を残して掻き消えた。
静まり返った部屋に一人残された館長は椅子から立ち上がり、部屋を出ようとした。
しかし、すぐに立ち止って振り返った。
視線の先には決済箱。
「そうだ。シトが出張したなら、あの本片付かないな」
館長はデスクに戻って先程投げ入れた本を手に取った。
不思議な魅力で輝く本に、ふと館長は首を傾げた。
途中まで読んでみたのだが、何だかこの本の題名は似つかわしくない気がする。
良い題名を思い付いた彼は悪戯心を芽生えさせて、にやりと笑って表紙を一撫でした。
すると、キラキラと光る掌から現れた題名は、元の『浅田』という題名からほんの少し変わっていた。
新しくなったそれを見て満足気に笑った館長は本を眺めて不思議そうに首を捻った。
「何でかなぁ。人間って本当に飽きないや」
館長は自身の図書館の本棚にこの本を並べるべく、シトの仕事部屋を出た。
救済者シトの介入によって彼の物語の内、神が手を下す序章は幕を閉じた。
彼の人生が続く限り、今後もこの本の白紙に物語が綴られ続けていくのだろう。
本来の生きるはずだった運命を外れ、世界を跨いだ迷い人の運命は最高神にも読めやしない。
ここから先は純粋にの選んだ人生である。
予測不能な物語とは何と心躍ることか。
彼の今後の活躍を期待して館長は一際異彩を放つその本を自身のお気に入りの本棚へと並べた。
『最弱ヒーロー・〜雲雀〜』
キラキラ輝く背表紙を愛しげに見つめた後、館長は躊躇することなく踵を返した。
――さて、次はどんな物語に出会えるかな?
すでに彼の興味は違う所を向いていた。
館長は子供のように目を輝かせて、自慢の図書館に背を向けた。
次なる物語を読みふけるために、彼は音もなく外へ出て静かに扉を閉めた。
fin !
* ひとやすみ *
・長い間、本当に本当にご愛読ありがとうございました!!
最終話なのに兄様出ないのかよっていう声が聞こえて来るようです。笑
どこまでいっても人を振り回すそんな存在の兄様にくすりと笑っていただけたら私はそれで満足です!
兄様のお話はここで一旦おしまいですが、兄様の人生はこれからも続いていきます。
きっとまだまだ波瀾万丈な毎日でしょうが、弟達や友人に支えられてカッコ悪くも暖かい人生を過ごすことでしょう。
その途中、またどこかで皆さんのお目にかかることもあるやもしれません。その時は生温い目で見守ってやって下さいね!笑
本当に長い間、超長編「最弱ヒーロー」にお付き合いいただきありがとうございました!皆さんの愛に感謝を込めて。 (12/10/30)